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スピリチュアル

私が本当の意味でスピリチュアルに関心を持ち始めたのは「可愛がっていたペットは死んだ後に飼い主が来るのを待ってくれる」という記事を読んだことがきっかけでした。しかしそれまでには長い時間がかかっています。まず、その辺りをお話しようと思います。

愛犬の恭平が元気な頃、このホームページを始めました。完成する前に父と恭平は闘病を余儀なくされます。そのため闘病の記録も掲載し始め闘病の部分を分離し姉妹サイトの「癌・ギランバレー☆闘病記」というサイトにしました。当初、「ダックスの恭平とその家族」というタイトルで楽しいペットとの生活を紹介しながら、動物に対する愛情を知ってもらいたいという思いを持ってサイトを作っていました。姉妹サイトの「癌・ギランバレー☆闘病記」では、闘病している父の記録と、病と向き合う家族を支えるために必要なことを残そうという気持ちでサイトを作成していました。結果として愛する者たちを亡くたのですが、その時味わう喪失感や、悲しみ、辛さから立ち直るためや、乗り越えるために必要なものは何か・・・・という事を最終的にサイトで書きたいという思いに変わっていきました。

しかし、必要なものが見つかりません。父と恭平は2ヶ月の違いで旅立ったためか、しばらくの間喪失感、悲しみ、辛さを押しのけて前を向くことができずにいたのです。何年経過しても、悲しみが小さくなることはあっても自分が求めていたものが見つからないのです。それより、運命を呪い、悲しみを与える天を憎みました。一体どうしてこんなに悲しく辛く寂しいのか。。。。。

それでもいつしか悲しみは思い出という形に姿を変えつつ日々の生活の中に共存していくようになります。一つだけ私にはずっとこだわっていた事がありました。それは、恭平の遺骨の一部をまだ手元に持っていたことです。このときすでに7年が経過していました。 ペットの納骨には色々な方法があるようですが、私にはどれもしっくり来なかったのです。そして、ある日知人に
「恭平のお骨がまだ手元にある」
と言ったとき「だから恭平君は成仏できないんだ」と言われました。かなりショックでした。私は恭平とは十分過ぎるほど愛情を感じあい、そして絆は深いと自信を持っています。なのに全てを打ち消されるような気持ちになったという感じだったのでしょう。それに私にとって成仏できないという言葉は、冷酷で非情な態度が原因だったり、天国に旅立てずに苦しんでいるというようなイメージの言葉でしたので辛くなったのを覚えています。
そのことがきっかけで、「恭平にとって最高の場所」をみつけそこに埋葬しようと考えはじめます。ネットで「ペットを埋葬するのは森の中」と知れば山を登り、父の眠るお墓はどうかと調べ、いっそ庭はどうだろうか、と迷いました。

そんな中、ある会で「ヒーリング」をしてくれる事を知り出かけました。正直言ってこのときの参加理由は体調が悪かったのもありますが、どんな癒しを受けられるかという興味のようなものです。 そこで霊性を開花するためのクラスもあると知り、『参加してみて』、と薦められます。おかしな事ですがこのクラスに参加してみると、恭平の本当に望む場所が見つかるのかもしれないという感じがしていたのです。

クラス当日、初めての参加者に対し「どうしてこのクラスに参加しようと思ったか」と聞かれる場面がありました。他の参加者の皆さんはスピリチュアルに関して勉強をしていたり、霊感があったり、長い間クラスに通っている方がいたりと、私とは別世界の方ばかりでした。そんな中で私の参加理由を答えていいものか。。。。 「愛犬の埋葬場所を見つけたいのです」と正直に答えました。「今あなたの横に来ていますよ」と先生が答えたのです。私は涙を止めることが難しかったです。私の元に来てくれているんだ。 私のそばに今もいてくれるんだ。それだけじゃない。恭平は今も私と深くつながっている・・・・そう確信した瞬間です。

その日の帰りの地下鉄の中で私の足元にそっと暖かい空気を感じたのです。間違いない。恭平の魂は今も私の近くにいる。。。。。。それでもこの時点ではスピリチュアルの学びが目的ではなく、恭平にとって最高の眠る場所を選ぶためにすぎません。それでも、しばらくこのクラスに通うことを決心したのです。今思うとそれは恭平の事意外にもっと違ったものを感じたからかもしれません。 何もスピリチュアルについて知らない私は、スピリチュアルの基本などが書かれた本などを読むように薦められ時々目を通すようになりました。その中に「可愛がっていたペットは死んだ後に飼い主が来るのを待ってくれる」と書かれているのを見つけたのです。そしてもう一つ「可愛がられたペットは生まれ変わることもある」とあります。 それがきっかけで、スピリチュアルを正面から見つめることになります。