アニマルコミュニケーション
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アニマル・コミュニケーション体験談

ペットのスピリチュアルについて学んでいくとアニマル・コミュニケーションについても知ることがあると思います。動物と話せる能力を持った方に自分のペットとの会話を代理でお願いするのが一般的です。アニマル・コミュニケーションの他にもう一つ、他界したペットと会話する事も可能です。動物霊媒などと言われたりしますが、そういう方は亡くなった方ともコンタクトをる霊界通信のできる方が多いと思います。もちろん、アニマル・コミュニケーション専門でやられている方が亡くなったペットとコンタクトをとるなど、両方できる方もいらっしゃいます。ここでは私が経験したことを掲載しています。目的は、コミュニケーションを取ることは、自分とペットたちとの関係を再確認するのはもちろんですが、実はその経験によりスピリチュアルの本当の意味を学ぶことにつながるからです。私もスピリチュアルを学んでいる一人にすぎませんが、より多くの方に参考にしていただけたら、と思っています。

注意点をいくつか。 まず、霊媒と言う表現をしましたが、ここではミディアムという言い方に統一します。霊界通信をリーディングという表現に統一します。 ミディアムやアニマル・コミュニケーターを紹介するためのものではないため、名まえなどは伏せていること。 です。

 経験談に入る前に、私はアニマル・コミュニケーションとリーディングのずれも経験があります。さくらが元気だったころのアニマル・コミュニケーション、他界した母のリーディング、亡くなったさくらのリーディング、です。こちらにはさくらのリーディングを掲載します。
リーディングで必要なものは写真と名前でした。身内や知人の方のリーディングでは写真が必要ない場合が多いです。そして、質問の内容を聞かれていたので写真とともにメールで送りました。お願いしたミディアムはここではTさんとさせていただきます。 リーディングが始まるとまず多くの事をこちらから話さずに待ちます。すると、ミディアムが見えることを話してくれます。『』の中がTさんの言葉ですが、可能な限りそのまま掲載しました。

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亡くなった日、私は弟と一緒にさくらを公園へ連れて行った。どこかで「最後の散歩になる」という思いと、母が病気になってから家族そろってどこへも連れて行けず、それが気持ちのどこかに引っかかっていた。外へ連れ出すことで体調が悪化したら、と考えていたがその気持ちが現実になったかのように公園から帰って2時間後にさくらは旅立ったのだ。そのことをどうしても聞きたかった。あの公園への散歩はさくらの寿命を縮めたのではないかと。

さくらの答えは 『公園に行ったことはすごく嬉しかったみたい。風が冷たいのだけれど日が照っていて子供の声がする。その音を聞いていたみたいで太陽が暖かいなって思ってる。彼女は外が好き、風が好き、匂いが好きだった。だから外に出ていたかったみたい。暖かくしてもらって幸せだった。』

この日は、数日前に降った雪がまだ日陰に積もっていて冷たい空気が私を心配させた。空を見上げれば青空が広がっていて、ブランケットにくるまったさくらの顔を照らしている。心地よさそうにしかみえないさくらの表情を見てこれが最後でなければいいのに、と祈る気持ちだった。 このブランケットは、さくらを叱ったあの日、途中で立ち寄ったショッピングセンターでさくらに対する謝罪の意味を込めて買ったものだ。〈さくらと会話へ (メッセージ7)参照›
新品のピンクのブランケットを初めて使ったのがこの時であった。新品のブランケットでくるみ暖かくしてあげたい、その気持ちは寒がりのさくらに伝わっていた。

もうひとつさくらに謝罪しなくてはいけないと思っていることがあったが、それはブログ「謝罪」に記載したので内容はここでは省き、リーディングの結果を掲載することにする。 さくらは『注射をされていたけれど、それがとても強くて自分を制御できなかったみたいで、あなたのせいでもないし、自分のせいでもないと思っているみたい。』と言われた。思い起こせば注射の後は意識が混沌としそのたびに危篤、と言われた。最後は私が注射を拒否したがそれも自分の判断が正しかったか、という疑問をずっと抱えていた。しかし、正しかったのだと思えた。 実際にさくらが発病し一番つらかったのは、いつも行っていた動物病院に最初に連れて行ったとき、さくらは20分ほど泣きづつけた事だ。ドアのガラス部分から検査されているさくらが見えたのだが、注射が出来ずに羽交い絞めにされていた。さくらは私に気付き必死な顔で訴えた。間違いなく「助けてほしい」と言っていた。
私はこの病院の治療を受けなかった。この病院を出て大雪の中、車を走らせ最後までお世話になった病院へ向かったのだ。そこではさくらは安心し、穏やかでいてくれたことが私の判断が間違ってなかったと証明してくれた。ただ、さくらは自分が何をされて何が自分にとって良くないか判っているように思った。元々とても敏感な子なのでさくらは多くの事を想像以上に感じ取っていたように思う。

笑える話もあった。私はジュディーが元気な頃から使っている毛布を捨てずにずっとさくらにも使わせていた。ジュディーのにおいがついているのだから、それをさくらが恋しがるに違いない、というのが理由だ。ところが 「クサイ」 らしい。洗い立ての洗濯物のにおいが好きだったと言われたが確かにそうで取り込んだ洗濯物の上で寝るのだ。私はあまりに気持ちよさそうに洗濯物の上で寝ているさくらを見てそのまま寝かせておくこともしばしばだった。そりゃ、考えたらしばらく洗っていない毛布はいただけない・・・悪かったね、さくら。

みゃーという猫を保護してさくらが育てたが、それもさくらは覚えていた。『新入りが来たけどいなくなった。だから私の後に続くものがいない』って伝えてくるそうだ。しばらく間が空くけれど新入りがまた来る、とも言っているらしくその新入りのためにブランケットは新しいのにして、というのがさくらの望みのようだ。

私の母とさくらと2か月の違いであっという間に霊界へ旅だったのだがそのことに何か意味があるのか? 友人知人からもそれは指摘をされていることだった。そのことについても聞くことにした。 回答は『歩き出す時』というものだった。つまり、私は「歩き出す時期」らしくさくらは私が歩き出すのを見守るために私の側にいる時間を延ばしてくれたという。
さくらからすると『「大丈夫? 用意はいい?」というような感じで私を置いて旅立った』そうだ。

さくらは私を娘のような存在としてとらえていたらしく、娘をずっと見守り、やることはやった、だから一人になるけどあとは頑張ってね、といった感じであったとのこと。

 私は、生かされていた。 そう思った。ちょっと大げさだけど。 もう10年以上になるが、怪我をして体の自由が利かなくなり、回復はしたものの制限ができた。その時、生きる気力を失いかけたことがある。でも、3匹の愛犬がいるからリハビリを頑張った。どういうわけか母は私を責めていたが、父は私の理解者であった。それが恭平と父が亡くなり私を支えていたものが崩れた。もう、生きる意味はないだろうと考えた。それでも、私の横にジュディーとさくらがいた。この子たちが元気なうちは私も頑張ろう。だから再び生きることができた。

やはり生かされていたのだ。ちょっと大げさだけど。 本当の意味で一人で歩いていく、その時期が今とするなら私はそれまで生かされていた。支えられていた。 そう思えば思うほど涙が止まらなくなる。 悲しいのではない。 もう一度、抱きしめてお礼を言いたいのだ。 私と一緒に生きてくれた3匹に本当に感謝している。

そして、決心をした。 自分で愛犬たちとコミュニケーションが取れるようになる、と。 直接お礼を言うために。。。。。。